妻子を上海に残し内陸単身赴任する駐在員
「これを見てください」
こう言って、机の引き出しから輪ゴムで巻いた飛行機のチケットの半券の束を取り
出した。厚さは4~5cmはあるだろう。
「去年だけで70回ですよ」と疲れ切った声で語るのは、ある電機メーカーで保守サー
ビスを受け持つ日本人幹部。
飛行機の機内がオフィスみたいなもの
「中国ビジネスはこれからが本番だ。売って、売って売りまくれ!」と威勢の良い檄
が本社から飛んだ。この電機メーカーは、これまで沿岸部の富裕層を対象に、高付
加価値の商品を地道に販売していた。 しかし、欧州での販売は総崩れ、米国もダメ
、日本は言うに及ばず。「もはや中国しかない」ということで、思い切って中国での商
品ラインナップを拡大した。対象は内陸市場。
「売ればいいってものでもないでしょう。売った以上はメーカーとして品質責任があり
ますから、メンテナンスや保守サービスはしっかりやらなければなりません。そのた
めの特約店向けの技術指導は不可欠です」 。そう語る彼は、特約店の技術指導の
ため、中国内で東奔西走の日々を送っている。「飛行機がオフィスみたいなものです
よ。それに、現地で指導する時間よりも飛んでいる時間の方が長いですから、どれだ
け指導の効果があるのか、正直、自信はありませんね。ただ移動しているだけ、か
な?」と彼は苦笑する。
家族を上海に残して、四川省に単身赴任
「何のために、家族を上海まで連れてきたのか分かりませんよ」と、ある家電メーカ
ーの営業担当の日本人幹部は嘆く。
中国滞在は10年近くになる。振り出しの上海で5年ほど働き、次は北京で3年間。
事情が変わったのは昨年から。天津に半年間出張し、その後は家族を上海に置い
たまま四川省・成都に飛ばされた。
経済成長率が10%以上の都市に長期間張り付き、販売体制を整えるのが彼の仕
事である。
3月は、日本の本社が決算を迎える会社が多い。来年度の予算も編成される時期
でもある。中国の場合、ほとんどの企業が12月決算だから、今年の予算は策定済
みである。しかし、2月に入って、本社から、売上と利益計画の上積みの指示が相
次いで飛んだ。
「やりくりも限界に近付いています」と、この家電メーカーの営業幹部はため息をつく。
日本製品の競争力はなんといっても品質。それがあってこそ高価格で売れる。加え
てブランドイメージ。しかし、品質やブランドにこだわる消費者はごく一部だという。
ほとんどの消費者が、見た目と価格で商品を選ぶ。しかも内陸部での日本ブランド
の認知度は極めて低い。アルファベットのブランドなど見向きもされない。それを内陸
部で売れ、というのだから、そもそも無理がある。
それでも本社の指示には逆らえない。とりあえず売りやすいところで販売を拡大し、
それを内陸部営業の成果と称して本社に報告するのだという。中国の土地勘のない
本社の管理部門は、それを真に受ける。
相変わらず沿岸部での販売に依存しているというのが実態だ。しかし、相次ぐ売上
計画の上積みで、その“やりくり”も限界に近づいているのだという。
もう、気力だけでやっているという感じ
「内陸での営業は、じっくりと腰を据えてやるべき。ただでさえ少ない日本人駐在員
が、リーマンショック後、さらに減らされました。日本人が減るということは、現地従業
員の指導も手薄になるということです」
「本社では、現地従業員をもっと登用しろ、と言ってきますが、人なんて、野菜みたい
に、水だけやってれば育つというものでもないでしょう。
うちの会社のやりかたになじむのだけでも3年かかります。特約店がうちの商品を熱
心に売ってくれるようになるには、やはり3年以上かかります。もちろん、それだけお
金もかかります」 。しかし、人材の育成は現地任せであるし、販売投資は、現地での
利益を拡大するため、常に抑制されているという。
「もう、気力だけでやっている、という感じですね」とこの営業幹部は締めくくった。
毎月一回は日本人患者を急送している。
「駐在員の健康管理が、まったくできていないようですね」。北京にある外国人向け
専門の診療所に勤務する日本人医師は不安気。「守秘義務があるので、詳細は言
えない」と前置きしつつ、こんなことを語ってくれた。
「中国駐在の場合、食事が油っこいことや、お酒を飲む機会がやたらと多いので、生
活習慣病が悪化する傾向が高い。加えて、衛生環境や大気汚染もあって、喘息や
皮膚病にかかる人も少なくありません。それに仕事のストレスが加わるのですから、
健康を害さないほうがおかしいですよ」 。
この診療所は、救急設備を備えたビジネスジェット「ガルフストリーム」を1機チャータ
ーしている。重篤な患者が発生したとき、より優れた治療が受けられる日本の病院
に急送するため。
「大きな声では言えませんが、平均すると毎月一回は、日本人の患者さんを急送し
ています」とこの医師は言う。北京市内に住んでいればまだ良いが、内陸部で急に
倒れれば事態は深刻。北京に送られてきた時は、手のほどこしようがなかったという
気の毒な患者もいるという。
もちろん、こうした急送サービスは相当なお金がかかる。看護師を2人添乗させ、東
京まで急送する費用は500万円前後だという、もちろん予め保険をかけておけばよ
いのだが、その保険料をケチる会社も少なくない。駐在員本人だけ保険をかけて、
家族分の保険をかけなかったりする。
「ご家族が倒れたとき、ご家族分の保険がかけられていないと分かって、診療所内
で大騒ぎになったこともありました」とこの医師は言う。「そんなにまでして、経費削
減したいのだろうか?」とあきれ顔。
日本の経済や製造業が危機の泥沼に。
「日本の品質神話は崩れた!」。ある中国の大手エアコンメーカーの幹部はこう言い
放った。同社は2月から香港のスター、ジャッキー・チェン(中国名成龍)をイメージキ
ャラクターに起用。そのお披露目の席上の出来事である。そして、こうぶち上げた。
「世間を騒がせているトヨタのリコール事件からみて、日本の経済や製造業が深刻な
危機の泥沼にはまり込んでいることは疑いようがない。
自前の技術力を確立し、高品質の製品を製造し、国際的なブランド力を高める時が
来た。このイメージに合うのがジャッキーチェン氏だ」 。
内部事情を少しでも知っている日本人なら、呆れてしまうに違いない。何しろ、この会
社は日本のメーカーを退職した日本人エンジニアを顧問として採用したり、日本のメー
カーから技術導入を行っているのである。
いまや金城湯池となりつつある内陸部市場で、圧倒的な強みを発揮しているのは現
地企業。そこに、日本企業が本格的に切り込もうとしている矢先にトヨタのリコール事
件は起きた。日本ブランドの出鼻をくじこうとするかのようなネガティブキャンペーン。
本来は節度あるべき本社ですらこんな態度なのだから、中国企業の現場ではもっと
露骨な営業トークが交わされているのは容易に想像できる。
中国でも直面する「品質神話の崩壊」。
日本製品の品質神話の崩壊が、単なる営業トークの次元に留まっていればそれで
良いかもしれない。しかし、兵站は既に伸びきっている。そんな状況で、さらに売り上
げを伸ばそうとすれば、どこかで無理が生じる可能性も否定できない。
「万が一、クレームが発生したら…」と懸念するのは、冒頭の電機メーカーの駐在員
である。
本社側も現地の窮状をある程度分かっているようだ。定期的かつ頻繁に応援部隊を
出している。 「今夜は、Kに行こう」。成田空港のラウンジで盛り上がる男性4人組の
会話を小耳に挟んだ。その内容から、北京の夜の過ごし方であることはすぐに分か
った。
東京にある歓楽街の名前を使ったこのカラオケバーは、過激なサービスが売り物。
店外への同伴が可能なホステスは、それと分かる色違いの番号札を胸につけている
からすぐ分かる。
北京の夜の事情を得意げに説明する中年の男性は、現地法人の営業の応援のため
、頻繁に日本と中国を行き来しているようだ。
現地の人手不足を補うため、本社の事業部が出張者を頻繁に派遣するのは珍しいこ
とではない。ただし、予算達成の責任は、あくまで現地の社員にある。
冒頭の電機メーカーの駐在員は言う。
「来て、指示を出して、飯食って、歌って、抱いて、帰るだけですよ彼らは。僕らからみ
ればまったくお気楽なものです。僕らには、そんな気力は全くないですね。今時、北京
や上海のカラオケに行って遊ぶのは、出張者くらいのものです」
疲れ果てた様子の彼の息抜きは、味気ないスナックで、ニセモノのウイスキーをあお
りながら、無念無想で古い歌謡曲を一人で歌い続けることなのだそうだ。
本社の中国ビジネスへの期待とは裏腹に、現地の疲弊感は深まるばかり。