中国革命の父
3月12日は、中国革命の父と呼ばれる孫文が死去(1925年)して85周年に当た
る。中国各地で、記念行事が行われた。
北京市内の中山公園中山堂での式典では、各界から集まった200人が孫文像に参
拝し改めて敬意をあらわした。
また、孫文が眠る南京の中山陵でも記念式典が行われた。
台湾では馬英九総統が植樹活動に出席し、「私が尊敬する孟子も孫中山先生も、植
樹活動の提唱者だった」と述べた。
中国で、孫文は「号」を用いて「孫中山先生」と呼ばれることが一般的。「中山」の号
は、日本滞在中に東京で見かけた邸宅の表札にちなむ。中華民国初代臨時総統。
1866年11月12日に広東省で生まれ、若い時期に兄を頼ってハワイに渡った。その
後、香港で医学を学んでいた時期に革命思想を持つようになった。明治維新から日露
戦争の勝利にいたる、日本の近代化にも大きな影響を受けた。宮崎滔天など孫文を
支援・支持した日本人も多い。
但し、1924年に神戸に立ち寄った際には、「西洋覇道の鷹犬となるか、あるいは東
洋王道の干城となるか」と、欧米列強の侵略をはねのけた日本が、アジアに対して欧
米列強と同じ道を歩みつつあることを、日本人自身が再考するよう求めた。
孫文はソ連からの支援を求め、中国共産党とも連携を進めた(第一次国共合作)。孫
文の死後、蒋介石が徹底的な共産党排除・弾圧を行った。孫文夫人の宋慶齢(後に
中華人民共和国国家副主席・名誉主席)は蒋介石を「裏切り者」と非難した。
1925年3月12日に北京で死去。遺言には「革命いまだならず。同志よ、すべからく
努力せよ」とあった。
(2010.03.12中国新聞社)

孫文 南京の中山陵